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<title>浦島雑誌</title>
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<language>ja</language>
<lastBuildDate>Thu, 02 Sep 2010 22:19:51 +0900</lastBuildDate>
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<title>商業のモデルとしてのわらしべ長者</title>
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<category>経済</category>
<category>商業</category>
<category>等価交換</category>
<category>わらしべ長者</category>
<category>伝説</category>
<description><![CDATA[ゼロから経済学をつくるみたいな話だが。<br><br>のちにわらしべ長者と呼ばれることになる男の行動。<br>0. 貧乏から抜け出したいと観音に祈る。<br>1. 観音堂を出たところで男は一本のワラを拾う。<br>2. アブをつかまえてワラに結びつける。<br>3. アブを結んだワラとミカンを交換する。<br>4. ミカンと反物を交換する。<br>5. 反物と馬を交換する。<br>6. 馬と屋敷を交換する。貧乏から抜け出せて、めでたし、めでたし。<br><br>3〜6のそれぞれの交換は等価交換である。暴力によって無理やり交換したとかではなくて、当事者がたがいに等価と認めあって交換した。<br>それぞれの交換は等価交換であったにもかかわらず、結果的に男は屋敷を手に入れた。等価交換であったはずの行為の累積が、等価でない結果をもたらしたのである。なぜ？<br><br>男はそれぞれの交換が等価交換でないことを知っていたのではないか。<br>なぜなら、じつは男は観音から「はじめに拾ったものを持って旅に出ろ」と言われていたのである。つまり、観音の言葉に従って旅に出た男は、その後に起こることが富貴へのステップであることを知っていた。少なくとも信じていた。男は、それぞれの交換が等価交換ではないことを知りつつ、等価交換のふりをして交換を行なったのである。<br><br>商業とは、このように狡猾ないとなみである。ずるいやつが儲けるのである。――いや、そういうことではなくて、男がアブをワラに結びつけるという「労働」あるいは「加工」を行ったことや、旅をつづけるための体力とか飲食とかの「資源」を投入していることとか、開かれた「市場」で行われた交換ではなかったこととか、これだけの材料でもいろいろ考えられるということ。何かを考えるには、モデル化や抽象化によって問題をシンプルにしてから解くのがいい。わらしべ長者みたいなシンプルな話は、商業や経済を考える出発点として使える。<br><br><a href="http://books.uraxima.com/product/4001140578.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PMPSTJKQL._SL160_.jpg" width="112" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4001140578/uraxima-22/ref=nosim" class="text">わらしべ長者―日本民話選 (岩波少年文庫)</a></b><br><br>岩波書店 (2000/08)<br>383ページ<br clear="all">]]></description>
<pubDate>Thu, 02 Sep 2010 22:19:51 +0900</pubDate>
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<title>日本の進路モデルとしてのブレーメン音楽隊</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100901a.html</link>
<category>ブレーメンの音楽隊</category>
<category>グリム童話</category>
<category>童話</category>
<category>社会</category>
<category>観光立国</category>
<category>公務員</category>
<description><![CDATA[<img src="http://www.uraxima.com/parts/10/09/bremen.jpg" width="200" height="267"><br>- <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E9%9A%8A" class="text">ブレーメンの音楽隊 - Wikipedia</a><br><br>飼い主にリストラされかかったロバ、イヌ、ネコ、ニワトリが、市のおかかえ音楽隊に入れてもらおうとブレーメン市を目指したが、途中でみつけた盗賊の家を乗っ取って、いつまでもその家で暮らしましたとさ。めでたし。<br><br>というのがグリム童話「ブレーメンの音楽隊」の大筋だが、家畜にとってリストラとは、解体されて料理やスープにされてしまうことなので、先手をうって逃げ出した積極性を評価したい。彼らが入れてもらおうとしたおかかえ音楽隊は、いわば公務員。いまどき公務員になろうとしても、容易に採用されるものではないが、視野がせまいのはしかたない。長年一軒の家で飼われていたら、どうしても視野はせまくなる。とりあえず行動を起こしたことを良しとしたい。<br>幸運にも彼らは、盗賊の家を手に入れて安穏に暮らすことになったのだが、彼ら四匹の家畜を貧困層、盗賊を既得権益層と読み替えると、ありうる日本の将来モデルにならないか。<br><br>のちにこの事実wを知ったブレーメン市では、四匹のブロンズ像をつくり、観光アイテムとして市庁舎の脇に設置した。輸出立国から観光立国への転身をはかったのである。なにかと非難されることの多い公務員だが、彼らもまた社会の変化に対応すべく目覚めたのであろうか。めでたし、めでたし。<br><br>関連記事。<br>- <a href="http://www.uraxima.com/log/20100810b.html" class="text">リアルでしょ、ブレーメンの音楽隊 - 浦島雑誌</a><br>- <a href="http://www.uraxima.com/log/20100731b.html" class="text">日本の未来はイタリア型かドイツ型か - 浦島雑誌</a><br><br><a href="http://books.uraxima.com/product/4834000311.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51v4RflhcBL._SL160_.jpg" width="114" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4834000311/uraxima-22/ref=nosim" class="text">ブレーメンのおんがくたい―グリム童話 (世界傑作絵本シリーズ―スイスの絵本)</a></b><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=uraxima-22&keyword=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0&mode=blended" class="text">グリム</a><br>福音館書店 (2000/12/1)<br clear="all"><br><a href="http://books.uraxima.com/product/4003241312.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ECY3VX7ZL._SL160_.jpg" width="113" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003241312/uraxima-22/ref=nosim" class="text">完訳 グリム童話集〈1〉 (岩波文庫)</a></b><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=uraxima-22&keyword=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0&mode=blended" class="text">グリム</a><br>岩波書店 (1984/01)<br clear="all">]]></description>
<pubDate>Wed, 01 Sep 2010 09:43:26 +0900</pubDate>
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<title>まず立場がある</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100831b.html</link>
<category>スラヴォイ・ジジェク</category>
<category>共産主義</category>
<description><![CDATA[名は体をあらわす。スラヴォイ・ジジェクって好戦的な感じだなあと思っていたら、やはり戦闘的なやつだった。<br><br><div class="quote">本書が示すものは、中立的な分析ではなく、徹頭徹尾「偏った」分析である。なぜなら真実とは偏っているもので、人がある立場をとったときにだけ近づける、だからこそ普遍性を持つものだからだ。もちろん、ここで取られる立場とは、コミュニズムである。</div>- スラヴォイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義』<br><br>人は特定の立場から出発する。それは運である。目をつぶって選ぶしかない。どこからも文句の来ない八方美人なポジションを探していたら、何もはじまらない。<br><br><div class="quote"><a href="http://books.uraxima.com/product/4480065571.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51MsaAeSIfL._SL160_.jpg" width="99" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480065571/uraxima-22/ref=nosim" class="text">ポストモダンの共産主義 ―― はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)</a></b><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=uraxima-22&keyword=%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF&mode=blended" class="text">スラヴォイ・ジジェク</a><br>筑摩書房 (2010/7/7)<br clear="all"></div>]]></description>
<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 14:45:17 +0900</pubDate>
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<title>人魚姫とは何か</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100831a.html</link>
<category>ハンス・クリスチャン・アンデルセン</category>
<category>童話</category>
<category>人魚</category>
<description><![CDATA[自分なら A をとる。<br><br><img src="http://www.uraxima.com/parts/10/08/mermaid.jpg" width="458" height="406"><br>- <a href="http://2u.ihatovo.org/albums/2007" class="text">何で保存したのかわからない画像 : Girl2U</a><br><br>さし絵の人魚がエロチックだった、はじめて「人魚姫」を読んだときのことだが、アンデルセンの。人魚とは、不能性、不可能性を示しているかに見えて、じつは侵犯可能性を示している。]]></description>
<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 13:41:02 +0900</pubDate>
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<title>戦争に負けて申し訳ない</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100830b.html</link>
<category>軍事</category>
<category>歴史</category>
<description><![CDATA[一昨日の記事<a href="http://www.uraxima.com/log/20100828a.html" class="text">「長寿伝説――常陸坊海尊のこととか」</a>と結びつきそうなので、メモ。<br><br><div class="quote">私がホテル勤めをしていた頃の話。<br>ある披露宴、新郎が海自の方でした。<br>同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。<br>一通りの祝いの言葉の後に、 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。<br>自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。<br>たとたどしくですが話されました。<br>同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき<br>神妙に聞き入っていました。<br>挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、<br>新郎は小声で「大和です」 。<br>それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。<br>おじいさんも見事な答礼を返されました。<br><br>私はその後は仕事になりませんでした。ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。</div>- <a href="http://copipe.cureblack.com/c/5868" class="text">No.5868 私がホテル勤めをしていた頃の話。 - コピペ運動会</a>]]></description>
<pubDate>Mon, 30 Aug 2010 21:48:58 +0900</pubDate>
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<title>司馬遷、市場経済を語る</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100830a.html</link>
<category>経済</category>
<category>市場経済</category>
<category>歴史</category>
<category>司馬遷</category>
<category>史記</category>
<description><![CDATA[そのまま市場経済の定義に使えそう。史記・貨殖列伝から。<br><br><div class="quote">物が食べられるのは農夫の力だし、〔山林の資産〕を供給するのは山番の力、それらを仕上げるのは工人の力、それらを流通させるのは商人の力である。これらの仕事は政府の命令でいついつまでに集めろと指図するというようなものではない。一人一人がおのれの才能に応じ力のかぎりはたらいて、自分のほしい物を得ようと思うからのことである。だいたい、物の値がやすければ、やがてたかくなる前兆、たかければ、やがてやすくなる前兆であるが、各人が仕事にいそしみ、よろこんで働くのは、ちょうど水が低いほうへ流れるようで、昼も夜も休むときなく、よばなくてもおのずと来るし、求めなくても民は品物を出す。これは道理にかなっていて、当然そうあるべき証拠ではないか。</div><br>小川環ほかの訳による岩波文庫版です。ちょっと論理があやふやな感じもあるので、原文を探してみた。原文は次のとおり。「徴」の旧字が入力できないので、新字で代用した。<br><br><div class="quote">待農而食之，虞而出之，工而成之，商而通之．此寧有政教發徴期會哉？人各任其能，竭其力，以得所欲．故物賤之徴貴，貴之徴賤，各勸其業，樂其事，若水之趨下，日夜無休時，不召而自來，不求而民出之．豈非道之所符，而自然之驗邪？</div>- <a href="http://hanji.sinica.edu.tw/cgi-bin/ftmsw3?ukey=276987918&tdb=%u4E8C%u5341%u4E94%u53F2&path=/2.1.5.69.4.1" class="text">新校本史記三家注/新校本史記/列傳/卷一百二十九 貨殖列傳第六十九</a><br><br>どうやら原文がすでにむずかしそう。「政教發徴期會」のあたりは字句のレベルでひっかかりそうだし、「故物賤之徴貴，貴之徴賤」なんかはどういう文脈を構成しようとしたのかわからない。で、近所の図書館に行ってみた。町の図書館なので本格的な注釈書はなかったが、こんな訳があった。<br><br><div class="quote">農民は食糧をつくり、山持ちは木材や鉱物を出し、工匠は器具を製造し、商人は物資を流通させる。このいとなみは、上からの指導や強制によって形成されたものではない。人間だれしもが、自分の才能に応じ力をつくして、欲望を満たそうとする。この人間の本能的ないとなみが、経済活動なのである。<br>したがって物の値が安ければ高い地方へまわし、高ければ安い地方から仕入れるといった按配に、人間の経済活動は、さながら水の低きにつくがごとく、やむことなく繰り広げられる。かくて財貨はだれが命ずるでもなく、おのずと産み出されおのずと流動する。まことに経済活動こそは、自然法則の人間界における見事な具現例だと言っても過言ではない。</div><br>こちらは村上孚・竹内良雄訳の徳間文庫版。原文をかなり省略・増補した訳だが、このくらい踏み込んでも原意ははずしてないだろう。司馬遷は法家の思想を批判して、民間の無頼の徒の活躍にも一章をあてた。史記の中でも人気の高い「任侠列伝」がそれで、民の侠気を信じることと経済を民の自発的活動にまかせることは矛盾しない。『史記』が完成したのは紀元前91年頃という。市場のことは市場にまかせるのがいいとする考えが、すでにそのころからあったことを貨殖列伝の一節は示している。<br><br><div class="quote"><a href="http://books.uraxima.com/product/4002010171.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ZFlIEdouL._SL160_.jpg" width="118" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4002010171/uraxima-22/ref=nosim" class="text">史記列伝 全5冊</a></b><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=uraxima-22&keyword=%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%B7&mode=blended" class="text">司馬遷</a><br>岩波書店 (1995/07)<br clear="all"></div><br><div class="quote"><a href="http://books.uraxima.com/product/4198923957.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51IW9Je36UL._SL160_.jpg" width="115" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198923957/uraxima-22/ref=nosim" class="text">史記〈6〉歴史の底流 (徳間文庫)</a></b><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=uraxima-22&keyword=%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%B7&mode=blended" class="text">司馬遷</a><br>徳間書店 (2006/03)<br clear="all"></div>]]></description>
<pubDate>Mon, 30 Aug 2010 14:35:34 +0900</pubDate>
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<title>本棚は人に見せびらかすためにある</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100829a.html</link>
<category>内田樹</category>
<category>教養</category>
<category>学歴詐称</category>
<description><![CDATA[内田樹の新刊<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334035779/uraxima-22/ref=nosim" class="text">『街場のメディア論』</a>、書棚の効用を述べたくだりがおもしろかった。<br><br>書棚の効果は学歴詐称に似ていると内田はいう。ばれたときのリスクが大きいのに学歴詐称がなくならないのは、「ある大学に受かった」という客観的事実と「その大学に受かるくらいの学力はあった」という私念のあいだに、主観的にはあまり差がないからである。この点で書棚は学歴詐称に似ている。買っただけで読んでもいない本が並んでいる書棚は、いわば読書歴詐称である、と。<br><br><div class="quote">正直に言って、書棚にある本のうち小説やエッセイの類はそこそこ読んでますけれど、哲学書なんかは八割方読んでない。開いたこともない。でも、「いつかは読まねば」と思っているから、手に取りやすいところに並べてある。「いつも読むから」手元にあるんじゃないんです。「いつか読まねば」と思っているから手近に置いて、そうやって我が身を叱咤しているわけです。それを人々は勘違いしてくれる。「ああ、こういうむずかしい本を毎日どんどん読んでる人なんだ、この人は……」と思ってくれる。</div>- 『街場のメディア論』<br><br>たしかにね。ひとの家に行って本棚を見て、お、こいつ、こんな本まで読んでるのか、と、その人を見直すことがある。自分の家にひとが来たときも同じ。おや、こんなのを読んでるんですか。そんなときは、いや、まあ、と謙遜してみせたりするのだが、じつは読んでないのです。<br><br>みえをはる相手は他人だけではない。それ以前に、自分自身がその対象である。<br><br><div class="quote">書棚に並んだ本の背表紙をいちばん頻繁に見るのって、誰だと思いますか。自分自身でしょう。自分から見て自分がどういう人間に思われたいか。それこそが実は僕たちの最大の関心事なんです。</div>- 同<br><br>ただし、書棚の効用は、他人や自分にみえをはれるだけではない。まだ読んだことのない本や、読んだけれども理解できなかったり内容を忘れてしまった本の並ぶ書棚とは、自分が身につけたいと思っている教養レベルを具体物で示したものなのである。「そういうものを読むような人間になりたい」という願望。それを自分（や他人）に開示できるのが書棚の効用だと著者はいう。これこそが、紙の本が電子書籍に対して持ちうる最大のアドバンテージであるとも。<br><br><a href="http://books.uraxima.com/product/4334035779.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/31vIGg%2BjCPL._SL160_.jpg" width="100" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334035779/uraxima-22/ref=nosim" class="text">街場のメディア論 (光文社新書)</a></b><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=uraxima-22&keyword=%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9&mode=blended" class="text">内田樹</a><br>光文社 (2010/8/17)<br clear="all">]]></description>
<pubDate>Sun, 29 Aug 2010 16:26:15 +0900</pubDate>
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<title>長寿伝説――常陸坊海尊のこととか</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100828a.html</link>
<category>長寿</category>
<category>源義経</category>
<category>常陸坊海尊</category>
<category>伝説</category>
<category>秋元松代</category>
<description><![CDATA[義経の長寿話（<a href="http://www.uraxima.com/log/20100827a.html" class="text">長寿記録の更新続く</a>）で思い出したが、弁慶と同じ僧形の家来に常陸坊海尊という者がいて、義経が衣川の館で自刃した日、他行していて主君を守ることができなかった。じつは死ぬのがいやで逃げたのだという。<br><br><div class="quote">知っている人もあると思うが、自分は常陸坊海尊の成れの果てであると名乗る琵琶法師が、東北の町や村を流浪しながら、義経の武勇を語り、自分はその義経を裏切って逃亡した卑怯者であると懺悔物語をしたという話は、義経の戦死から、それほど遠くない時からだったらしいと言われている。そして江戸時代の末頃まで、海尊と名乗る旅の琵琶法師は生き続けていたらしい。</div>- 秋元松代「『常陸坊海尊』について」<br><br>秋元松代の戯曲「常陸坊海尊」は、1960年代に書かれた。秋元が海尊という人物に何を託したかもうひとつスッキリつかめないのだが、執筆の主要な動機に「日本人は先の大戦にケリをつけていない」という思いがあったことは、次の海尊のセリフからもうかがえる。東北弁なのでそのつもりで。<br><br><div class="quote">さてもこのたびの合戦は、進め一億火の玉となり申すたにもかかわらず、あえなぐ敗け戦とは是非もなす。主君義経公を初めとすて、みんなみの島々支那満州さうち渡りたる軍勢も、武勇つたなく討死総崩れ。さるほどにこの海尊は、義経公を裏切り奉り、寄る辺なき女（おなご）だちわらしだちを見限りて、戦場をば逃げ出し申すた卑怯者でござりす。</div>- 秋元松代「常陸坊海尊」<br><br>日本人が大東亜戦争・太平洋戦争にケリをつけていないという論は、左からはさかんに言われ続けてきたが、右からの論はあまり聞かれない。ケリをつけるとは、実力をたくわえて戦争をやり直すとか、米英に復讐するとかではなくて、なぜわれわれは死ぬまで戦わなかったのかとか、なぜ軍は民を見捨てて逃げたのかということ。そこのところを言語化すべし。言語化できなくても、せめて後ろめたさとして伝えるべし。秋元が言いたかったことの一つがそれだと思う。<br><br>で、戦争のことはおいて、目下の行方不明長寿者の続出だが、命が惜しくて主君を見捨てた常陸坊、年金が惜しくて親の死を届け出なかった遺族。どちらも事情があってのことで、命が惜しいとかカネが惜しいとか、まことに人間的な事情であって、我が胸を手を当てればなかなか非難できることではないのだが、人はやるべき時にやるべきことをやりそこなうといつまでも悔いを引きずることになる。そのうえ、奥の一間にミイラも残ってしまう。戯曲「常陸坊海尊」でもミイラが要所で使われていて、後悔の念を形象化したもののごとくである。<br><br><a href="http://books.uraxima.com/product/4061963880.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PGSHBWC4L._SL160_.jpg" width="113" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061963880/uraxima-22/ref=nosim" class="text">常陸坊海尊・かさぶた式部考―現代日本の戯曲 (講談社文芸文庫)</a></b><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search?tag=uraxima-22&keyword=%E7%A7%8B%E5%85%83%E6%9D%BE%E4%BB%A3&mode=blended" class="text">秋元松代</a><br>講談社 (1996/10)<br clear="all">]]></description>
<pubDate>Sat, 28 Aug 2010 18:25:12 +0900</pubDate>
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<title>長寿記録の更新続く</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100827a.html</link>
<category>長寿</category>
<category>歴史</category>
<category>源義経</category>
<category>卑弥呼</category>
<description><![CDATA[<div class="quote">1 ：Opera最強伝説(長屋)：2010/08/26(木) 18:00:06.00 ID:3BqwGDAy0<br>山口県防府市は２６日、文政７（１８２４）年生まれで、存命していれば１８６歳になる男性の戸籍が残っていたと明らかにした。<br><br>112 ：検察官(長屋)：2010/08/26(木) 18:06:36.19 ID:jU1xcKOiP<br>長州藩で戸籍法施行されたのが1825年だそうだからこれ以上は出てこないんじゃないか<br><br>118 ：レミントンM700(catv?)：2010/08/26(木) 18:06:42.03 ID:dnLg6V+c0<br>福島県のやつ、恨みを晴らすなら当事者のこいつだぞ。</div>- <a href="http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/08/post_fe53.html" class="text">ネットゲリラ: ちょっと疲れたから永眠取ってるだけ</a><br><br><div class="quote">長崎県壱岐市で、今年で２００歳になる男性が戸籍上は生きている状態にあることがわかった。</div>- <a href="http://www.asahi.com/national/update/0827/SEB201008270014.html" class="text">asahi.com（朝日新聞社）：長崎・壱岐で２００歳「生存」　島津斉彬の１歳下</a><br><br><div class="quote">【岩手県で851歳の男性行方不明】岩手県平泉で、生きていれば日本最高齢となる851歳の男性が行方不明。男性は平治元年（1189年）生まれ、行方不明となった原因には兄が関与していると思われ、警察は事情を聞く方針。モンゴルへ高飛びしたとの噂もあり、モンゴル政府の協力も仰ぐ。</div>- <a href="http://twitter.com/toquzoguz/status/22164151106" class="text">Twitter / 匈奴の人</a><br><br><div class="quote">【推定1835歳の女性所在不明】相次いで高齢者の所在不明が明るみに出る中、卑弥呼さん（推定約1835歳）の所在が不明になっているという。卑弥呼さんは住民票に登録がなく、奈良県民説、福岡県民説の他諸説あり謎が多く、一方韓国政府も「卑弥呼さんは韓国の住民」と主張し、混迷を極めている。</div>- <a href="http://twitter.com/takaneet/status/22185643125" class="text">Twitter / takaneet</a>]]></description>
<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 20:43:26 +0900</pubDate>
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<title>下総国浜野の資本主義遺跡</title>
<link>http://www.uraxima.com/log/20100826a.html</link>
<category>資本主義</category>
<category>更級日記</category>
<category>長者伝説</category>
<category>経済</category>
<category>文学</category>
<category>歴史</category>
<description><![CDATA[朝早く出発した。<br>途中、深い川を舟でわたった。むかし「まのの長」という者がいて、千疋、万疋と布を織らせてさらした跡とのことで、川中に大きな柱が4本立っていた。人々が歌をよむのをきいて、私も心のなかでよんだ。<br><br>朽ちもせぬこの河柱のこらずは昔のあとをいかで知らまし<br><br>菅原孝標女「更級日記」の一節。1020年、父の任国・上総から京へ帰る途中の見聞。「まの」は今の千葉市浜野町のあたりかという。「長」は長者。<br>柱が残っていたというのだから、高標女がここを通ったときからそう遠くない昔、この地に資本主義的生産によって大量の布地を作り出し、財をきずいた長者がいた。しかし、当時の社会制度との折り合いが悪く、なんらかの外力によってつぶされた。すなわちこの4本の柱は、一時的、局所的に栄えて消えた資本主義の遺物なのである。――と読みたいのだが、どんなものだろう。<br><br><div class="quote"><a href="http://books.uraxima.com/product/4003001818.html" class="text"><img border="0" class="left" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WEWMVZB1L._SL160_.jpg" width="112" height="160"></a><b><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003001818/uraxima-22/ref=nosim" class="text">更級日記 (岩波文庫)</a></b><br>岩波書店; 改版版 (1963/01)<br>92ページ<br clear="all"></div>]]></description>
<pubDate>Thu, 26 Aug 2010 06:20:53 +0900</pubDate>
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