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浦島雑誌・新引き続きよろしくお願いします。
skywriting とか skywriter というのがあった。
何かと思ったら、飛行機雲で文字を書くことを言う、と。

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skywriter - Google 検索こちらの人は壁に書いている。書体が skywriting 風ということらしい。
道具はこんなの↓を使っている。

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Felix Vorreiter's handheld skywriter - Core77
9時起床。

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Udonchan : 2425: maonnnn: masterkohta: hirokin: ...自分のことだった。考えなくてもわかれ。
そこで、誰もが「あはは」と躊躇なく笑えるような社会にするため、これからも発信を続けていこうと思っています! RT @tamapopn: 多分笑う所だけど、笑う事に戸惑ってしまうw RT 立ち上がる足がない (>_<) RT 出馬する政党はたちあがれ日本?
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Twitter / 乙武 洋匡村崎百郎追悼文。
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イルコモンズのふた。 : ▼村崎百郎のいない世界監視カメラがあるとピースしたくなる理論
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Twitter / hsgn
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The Elephants of Scotland - Intelligent Travel Blog
3D テレビが売れてないという。
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3Dテレビ全然売れない!主要4社参戦も「期待外れ」 - 政治・社会 - ZAKZAK理由としてあげられているのは、まだ値段が高い、映像ソフトが少ないといったところだが、安くなってソフトが増えれば売れるのか。たぶんだめではないかと思う。次のような理由で。
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風景が三次元に見えた話 - 浦島雑誌人間は(動物も)ふだん二次元で視覚情報を処理している。できるだけ二次元で処理して、必要なときだけ必要な範囲で三次元処理に移行する。なぜそんなことになっているのか。理由は二つ。
一つは、三次元処理は疲れるから。
三次元処理は二次元処理に比べて、より多くのリソースを消費する。数学も生理学もわからないんだが、たぶん10倍や100倍のオーダーでは収まらないだろう。
あることができるからといって、人間はそれをするわけではない。人間には走る能力があるが、だからといっていつも走っているわけではない。ふだんは歩いていて、必要なときだけ必要な分だけ走る。視覚情報の処理についても同じで、ふだんは二次元で処理して、必要なときだけ三次元で処理する。そのようにしてリソースを節約している。
もう一つは、二次元で足りるから。
三次元情報を二次元に圧縮しても理解可能なことは、映画、絵画、写真などの表現が成り立っていることでわかる。二次元に圧縮すると理解できなくなってしまうとしたら、映画もテレビもありえない。
三次元情報や二次元情報を一次元(一本の直線)に圧縮すると、元の姿はわからなくなってしまうが、三次元を二次元(平面)に圧縮しても、元の姿を知るのに必要な情報は大部分保存される。二次元で足りてるわけです。
というわけで、テレビ番組を見るという程度の受身の娯楽に関しては、3D はオーバースペックである。かりに 3D TV が普及したとしても、せっかくの三次元情報を人は二次元に圧縮して鑑賞するのではないか。
使った音は、A D F G A。
たぶん D がキー。
キーとかよくわかってないのだが、その音で曲を終えると普通に終わった感じのする音、という理解でいいのか。
<p> タグが苦手だ。HTML のコーディングで <p> を使ったことがない。すべて <br> でまにあわせる。したがって当サイトでも <p> は使われてません。
<p> とか <br> とかは、ウェブページの裏に埋め込まれている記号です。<p> は段落、<br> は改行を表します。
「段落を作れない」というのを、単なる「文章力」の問題に還元してしまってはいけない。そうではなく、「段落」とは「論理の展開」に応じて作るべきもの。論理の「型」のあらわれ。その意味のまとまりが、全体の論理の中でどんな「役割」を果たしているかに応じて区切るもの。そのため、段落を考えて作ることは、論理的に考えることに直結する、非常に大切な作業(特に、それこそ哲学のような分野では)。
ところが、学生のレポートでそうした段落の意味を理解して文章が書かれているものは少なく、段落があっても、「長くなったから段落変えた」程度の意識とおぼしきものが多い。うぅーん、小学校〜中学校の国語の時間で嫌というほど問題として出される「段落」の単元が、全く「自分で文章を書くこと」につながっていない。
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SYM MCSG「文章が苦手」と「p が苦手」は同じことの別の現れだった。
書(Book)と町(City)の比。
町の英語は City なのか Town なのか、ほかに適当なのがあるのか知らないが、B/T より B/C のほうが姿がいいので B/C 比ということに。
「書を捨てて町へ出ろ」と寺山修司は言ったのだが、寺山自身は本をたくさん読んでいたわけで、そういう人がそういうアジテーションをやるって、正当なのか、ずるくないか、何かインチキがあるんじゃないか。とは思うのだが、では書を読まない人がどうしたらいいかと言えば、やはり町に出るのがいいかとも思う。意識的に対するなら、書より町のほうが情報量は多いわけで。
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B/C 比 - 浦島雑誌