[文学] 90年代純文学論争
ウィキペディアで笙野頼子を調べたら、 90年代の終わりに笙野を当事者とした純文学論争があったということで、 1項目あり。 まだ暫定版ということで加筆・修正があるらしいから、 以下、 全文引用。1990年代後半から2000年代前半にかけて起こった論争は、 文芸誌の売り上げに関し、 いわゆる 「純文学」 の売り上げの低さをその文化的存在価値の低さとみなす見解と、 それに対する批判によって引き起こされたものである。
1998年頃、 大塚英志が主張した 「売れない純文学は商品として劣る」 との主張に対して笙野頼子は抗議した。 福田和也はこの笙野の抗議について 「ヒステリック」 と批判した。 その過程は笙野のエッセイ集 『ドン・キホーテの 「論争」』 に詳しい。 また、 それを創作と言う形で表現したのが 『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』 であり、 笙野の純文学に対する並々ならぬ熱意がうかがえる。
2002年には大塚の 「文芸誌は売れないから商品としてかなり危うい」 という意味の発言に対して笙野は 『ドン・キホーテの侃侃諤諤』(『群像』 2002年5月号) を発表して大塚の見解を、 文学に商品価値のみを認める見解であり芸術としての文学に害を及ぼすものだと批判した。 これに対して大塚は、 『不良債権としての 「文学」』(『群像』 2002年6月号) で、 漫画雑誌の売り上げによって文芸誌の採算の悪さが補われていると主張してそれを批判の根拠としている。 笙野の 『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』 には、 幼稚な純文学叩きを繰り返す文壇の 「妖怪」 たちの様子が、 笙野一流のラディカルな文体で描かれている。
笙野にまともな反論をすることができた 「売上文学論者」 はほとんど存在せず 「外部」 による純文学叩きに終わるという、 情けないものだった。 福田のほかにも数人の評論家・作家が論争に加わっているが、 文学の芸術的な側面とその流通における問題がしばしば混同されて論じられており、 双方の間に対話が成立しないこのすれ違いの論争は笙野の 「謹告・論争終結」 によって終了した。
1998年頃、 大塚英志が主張した 「売れない純文学は商品として劣る」 との主張に対して笙野頼子は抗議した。 福田和也はこの笙野の抗議について 「ヒステリック」 と批判した。 その過程は笙野のエッセイ集 『ドン・キホーテの 「論争」』 に詳しい。 また、 それを創作と言う形で表現したのが 『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』 であり、 笙野の純文学に対する並々ならぬ熱意がうかがえる。
2002年には大塚の 「文芸誌は売れないから商品としてかなり危うい」 という意味の発言に対して笙野は 『ドン・キホーテの侃侃諤諤』(『群像』 2002年5月号) を発表して大塚の見解を、 文学に商品価値のみを認める見解であり芸術としての文学に害を及ぼすものだと批判した。 これに対して大塚は、 『不良債権としての 「文学」』(『群像』 2002年6月号) で、 漫画雑誌の売り上げによって文芸誌の採算の悪さが補われていると主張してそれを批判の根拠としている。 笙野の 『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』 には、 幼稚な純文学叩きを繰り返す文壇の 「妖怪」 たちの様子が、 笙野一流のラディカルな文体で描かれている。
笙野にまともな反論をすることができた 「売上文学論者」 はほとんど存在せず 「外部」 による純文学叩きに終わるという、 情けないものだった。 福田のほかにも数人の評論家・作家が論争に加わっているが、 文学の芸術的な側面とその流通における問題がしばしば混同されて論じられており、 双方の間に対話が成立しないこのすれ違いの論争は笙野の 「謹告・論争終結」 によって終了した。
だいぶ笙野に肩入れした記事だが、 この記事だけで判断すれば、 おれも笙野に加担したい。
それはそれとして、 この対立には、 そこそこ稼いでサラリーマンより収入の多い人とサラリーマンより稼ぎの悪い人の考え方、 体質、 志向の違いといったこともあるのではないか。
で、 それもそれとして、 純文学がだめだとしたら、 読んでないからよく知らないがたぶんだめなのだろうが、 こういうことは金持ちが批判しても直らない。 貧乏な書き手が、 自分の書くものはもっと価値があるはずだから、 もっと本気で売ってくれと言わない限り。
