2005-06-06
[芸能]  交換手段としての暴力
思想と暴力の交換可能性ということを考えた。 べつに答えがあるわけではないが。

というのは、 池袋ウェストゲートパーク、 マンハッタン・ラブストーリー、 そして今度のタイガー&ドラゴンと見てきて、 その間に、 映画、 ビデオ、 本も少しずつ見ているのだが、 クドカンの思想性がわからない。 右とか左とか、 保守とか革新とか、 そんなパターンに当てはめるつもりはないが、 そうだな、 おもしろければいいというのがクドカンの思想性か、 いまはきっと江戸時代だな、 などと、 えーと中略で、 とりあえず考えるのもまとめるのも面倒だから、 ニヒリズムということでペンディングにしておくが、 宮藤官九郎の作品がおもしろくてわたしは見てるわけです。
でも、 やはり何か落ち着かない。 と思っていたら、 先週のタイガー&ドラゴン。 タイガーこと長瀬智也が刀を持って殴りこむシーンがあって、 わたしの落ち着かなさは吹き飛んでしまった。 ああ、 暴力は思想の代わりにかるんだな、 だったら、 思想と暴力は交換可能であると…

えーと、 何を言ってるんだかわからなくなってきたな。 以上取り消し。 カギは暴力の側にある。 貨幣と同じで、 暴力も交換の機軸手段になりうるということ。 ただし、 計算がしにくい。 貨幣は計算の手段として洗練されているが、 暴力は効率が悪い。 やってみないと結果が出ない。 双方が血を流して、 ときには一方が死んだりして、 やっと計算が終わるのでは、 貨幣の効率に負けてしまう。

暴力に計算のしやすさを持ち込んで、 交換手段としての有用性を回復しようとしたのがスポーツか。 でも、 やはりカネに買われてしまうわけで、 カネで買えないものはない。 堀江貴文の箴言、 どこかで議論は深まったのだろうか。 思想家にとって取り組みがいのある、 いま一番おもしろい課題ではないかと思うのだが。
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おれジャック、 改名して今は浦島。


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