2005-06-15
[文学]  方法としての誤読
意味ありげなタイトルにしたが、 以下のようなわけだ。

リチャード・パワーズ 『舞踏会へ向かう三人の農夫』 の続きを読みながら、 もう小説は読めないかもしれないと思った。 思いながら読んでいた。 登場人物の一人 (男) が赤毛の女を探している。 追っている。 なぜ探すのか。 赤毛の女はクラリネットを吹くらしい。 男は女を、 ビルの10階とか20階とか、 そんなところの窓から見そめたらしい。 路上のパレードで女はクラリネットを吹いていたのかもしれない。 でも、 どうして男は女をたずねるのか。 そもそも、 そんな高い窓のこっちから、 人を見そめたりできるのか。

どういう経緯だったのか、 ページをさかのぼってみても、 答えがみつからない。 わざとわかりにくく書かれた小説ではない。 状況を説明する能力が筆者に欠けているわけでもない。 たんにオレの読解力、 集中力の問題なのだが。

小説を読むワクワク感が、 ときに起こらないわけではない。 でも、 その感じはというと、 フォーサイスの 『オデッサファイル』『ジャッカルの日』 とどこが違うんだ。 いや、 この話はやめておこう。 純文学と娯楽小説みたいな話になって、 脇筋に行ってしまいそうだから。

方法としての誤読 ── ということを考えた。
どうせちゃんと読めないのなら、 読めたところだけつなぎ合わせて、 そういう話なのだと決めればいいじゃないか。 現実とはそういうものなのだし。 いいかげんに読むのだから、 批評なんかは書けないが、 かわりに創作の素材にする。
女がいる。
クラリネットを吹く赤毛の女。
わたしはビルの屋上から、 その女を見そめる。
でも、 どうして。
顔も見えない女に、 どうしてわたしは魅かれたのか。
たしかに魅かれたのなら、 どうしてわたしは
すぐに彼女を追わなかったのか。
そして、 赤毛の女を探す長い旅。
詩か掌編の素材として、 もう十分だろう。
受動から能動へ。 もとが誤読であれば、 盗作にもならないだろう。
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おれジャック、 改名して今は浦島。


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