前項、 やや笙野頼子風であった。 とくに、 「ただし、 ──」 で段落を区切ったところ。
文法書の説明にしたがえば、 接続詞とは、 単語やフレーズやセンテンスを結びつけるものだが、 われわれの日常の経験から言えば、 「それでね」 とか 「だけどさ」 といった接続詞に続くのは、 フレーズやセンテンスより大きい (あるいは長い) ひとかたまりの論述である、 文章の場合ならパラグラフに相当するような。 だから、 ──
笙野頼子の接続詞の使い方は、 文法書の説明にはないけれど、 より適切、 より正当である。 笙野頼子とは、 正しいがゆえに、 世間の規範 (文法書の説明) から浮いてしまうような書き手か。
