前項の 「セリーヌとブコウスキー」 を書いていて思ったこと。
センテンスを句点で区切りながら文章を作ってゆくのは、 人間の自然な思考方法とは相性が悪い。 だからこそ技術が必要で、 文章を書ける人と書けない人がいるのも、 思考の流れをいちいち断ち切って、 マル (句点) を打ってはまた次のセンテンスを起こし、 いったん断ち切ったくせに前後がつながっていなければならないという、 文章作法と現実の矛盾に、 大きな原因がある。
意識の自然な流れを途切れさせずに文章をつなげるには、 セリーヌが多用している 「……」 やニーチェの使う 「──」 のほうがいい。 おっと、 セリーヌが原文でどんな記号を使ってるかは知らないが。
