» ディアハンター
これだけ色んな香具師にからまれる映画もある意味すごいな。
下らない映画なら、 まともな人間は簡単に 「無視」 してるよ。
下らない映画なら、 まともな人間は簡単に 「無視」 してるよ。
たしかに、 発表から四半世紀を過ぎて、 アジア人蔑視かどうかの議論がまだ続いてる。 ふつうは、 時代の流れということで、 「多少の蔑視はありましたが、 まあ当時のことですから」 という形で議論は収まるのだが、 チミノ作品のヒダの深さが議論の収束をさまたげている。
どうでもいいが、 ベトナム軍の面から見たディアハンターもあったかもしれない。
それはそれでアメ公が嫌らしく描かれるだろう。 だからって鵜呑みにはしないだろう。
それと同じで、 アメリカ人の目から見たディアハンターがあってもいいはずだ。
ベトナム人がこんな野蛮な人たちばかりではないことは先刻承知の上。
その上で俺たちは映画を見るんじゃないのかね。
それはそれでアメ公が嫌らしく描かれるだろう。 だからって鵜呑みにはしないだろう。
それと同じで、 アメリカ人の目から見たディアハンターがあってもいいはずだ。
ベトナム人がこんな野蛮な人たちばかりではないことは先刻承知の上。
その上で俺たちは映画を見るんじゃないのかね。
2ch の他のスレッドと同様、 このスレッドでも右と左の応酬が続くのだが、 そのうち、 論点を整理する発言も出てきて、
何度も触れられているが、この映画の問題点を絞る。 すなわち、
これが 「取るに足らない問題」 と判断する人が、 この映画を 「傑作である」 とほめたたえ、 「看過できない問題だ」 と思う人が非難しているわけだ。
戦争を舞台にした悲劇として映像表現の迫真性や俳優達の名演技など、 傑作といっていい出来栄えではあるが、 そもそもの 「舞台設定」 に矛盾と無理がありすぎる上、 ベトナム人を残虐非道な野蛮人とした描き方は、 いかにフィクションとはいえ、 許容できる範囲なのか。
これが 「取るに足らない問題」 と判断する人が、 この映画を 「傑作である」 とほめたたえ、 「看過できない問題だ」 と思う人が非難しているわけだ。
議論の土台を作り直そうという提案である。 このあとも左右の罵りあいが続くが、 女性の書き込みがあって、 また議論の出発点が問われる。
男女差別というか区別する気はないけれど
女と男の人は感じ方が本能レベルで違うのでしょうか
高校生の時プラトーンでベトナム戦争映画ブーム
(不謹慎?) があり周りの友達とビデオで
ディアハンターを鑑賞しました
でも反応はただ号泣するばかりで
「悲しくて仕方がない」 という感じでした
共通して感じたのは戦争が引き裂いた青春や友情や残酷な運命の悲しさでした
ベトナム人を故意に悪く描いてるとも思わなかったし
ベトナム人最低!とか洗脳もされませんでした
戦争は人を狂気に駆り立てるとは思っていたし
映画は国勢や政治的な知識のない人も見ます
高校生だった政治や歴史に疎い私にも「戦争の酷たらしさや悲惨な運命」
を感じさせるこの映画は、製作者の意図に関わらず
充分反戦映画の役割を果たしていたし今もそうです
それ以上に美しく悲しい青春映画だと思っています
女と男の人は感じ方が本能レベルで違うのでしょうか
高校生の時プラトーンでベトナム戦争映画ブーム
(不謹慎?) があり周りの友達とビデオで
ディアハンターを鑑賞しました
でも反応はただ号泣するばかりで
「悲しくて仕方がない」 という感じでした
共通して感じたのは戦争が引き裂いた青春や友情や残酷な運命の悲しさでした
ベトナム人を故意に悪く描いてるとも思わなかったし
ベトナム人最低!とか洗脳もされませんでした
戦争は人を狂気に駆り立てるとは思っていたし
映画は国勢や政治的な知識のない人も見ます
高校生だった政治や歴史に疎い私にも「戦争の酷たらしさや悲惨な運命」
を感じさせるこの映画は、製作者の意図に関わらず
充分反戦映画の役割を果たしていたし今もそうです
それ以上に美しく悲しい青春映画だと思っています
この書き込みに対して、 「この映画についてのレス0だと思う」 との反応があり、 意味を理解しかねた女性側から、
読解力ないから意味が今ひとつ解りません
私のような意見、 感想を持つ人 (女の人?) は皆無だと
言う意味ですか?
少なくとも私の高校時代の友人達は女性ですよ
私のような意見、 感想を持つ人 (女の人?) は皆無だと
言う意味ですか?
少なくとも私の高校時代の友人達は女性ですよ
と気を悪くしたふうの書き込みがあったが、
あ、 レス0?
それがこの映画に対する基準、 中心点ってことの形容w
わかりにくくてすまん
それがこの映画に対する基準、 中心点ってことの形容w
わかりにくくてすまん
と釈明があって、 この件は決着。
レス0という評価は適切だと思う。 批評の出発点は 「素直」 でなければならない。 素直とは、 体制に順応せよとか、 既成の価値観に逆らうなとかではなく、 自分の生理に素直であれということ。 「ただ号泣するばかり」 という生理的反応は、 出発点として正当なものである。
この映画で、 好悪が分かれるポイントは二つ。 一つはロシアンルーレットの場面、 もう一つはラストで歌われる 「ゴッド・ブレス・アメリカ」。 ある作品を好きだったり嫌いだったりするとき、 その理由を説明するのに、 幾つかのファクター (幾つかの場面、 幾つかの台詞、 ストーリーの流れ、 etc.) をあげて言うのがふつうだが、 「ディア・ハンター」 では一つの場面だけで評価 (しばしば、 「嫌いっ!!」 という断定) が下される。 なぜか。 チミノの作り出した絵が、 それだけ鮮烈だったからではないか。 「ある映画が一つの場面だけで評価を下されるとしたら、 それは優れた作品である」 というテーゼを立ててみたい。
ロシアンルーレットの場面は二度ある。 一度目は、 デ・ニーロ、 クリストファー・ウォーケンらのアメリカ兵捕虜にベトコン兵がルーレットを強要する場面。 アジア人蔑視の象徴的場面としてあげつらわれる場面である。 しかし、 この場面を根拠とする非難は、 別の場面を故意にか無意識にか見落としている。 チミノはちゃんと落とし前を付けている、 それも前もって。 主人公たちの故郷ペンシルバニアからベトナムに舞台が切り替わったとたん展開される無差別殺戮。 山間の村々を襲う武装ヘリや、 明らかに非戦闘員として描かれた女子供の逃げ込んだ防空壕に手榴弾を投げ込む米兵の姿は、 アメリカ側の悪を描いたものでなくて何なのだ。 前線で活躍する米兵の勇姿を肯定的に描いたもの、 などとはこの映画を非難する人でも言わないだろう。 前項でも書いたが、 チミノはバランスを取っている。 取りすぎるくらいではないか。 つねにバランスを取り、 善悪を相対化するゆえに、 かえって左右の双方から叩かれてしまう思想家、 それがマイケル・チミノという人物ではないか。
二度目のロシアンルーレットは、 デ・ニーロとウォーケンが対決するルーレット賭場。 ウォーケンの凄愴なメイクが忘れがたい。 あんな美しい場面を見て、 嫌悪感が先に立ってしまう感性というのもの信じがたいから、 実際に嫌悪を催させたのは、 対決に先立つ賭場の喧騒だったろうと思うのだが。
なんだかんだ言ってこの映画のハイライトはあのラシアンルーレットだろう。
貧相なヴェトナム人や発展途上を強調する粗末な捕虜収容、 退廃の極地のサイゴンなど確かに偏見と差別に満ち溢れた描写は多いが、 戦争が巻き起こす狂気をその緊迫感を含めて描いた映画は稀有だろう。
貧相なヴェトナム人や発展途上を強調する粗末な捕虜収容、 退廃の極地のサイゴンなど確かに偏見と差別に満ち溢れた描写は多いが、 戦争が巻き起こす狂気をその緊迫感を含めて描いた映画は稀有だろう。
もう一つの問題の箇所が、 ゴッド・ブレス・アメリカ。
これがタカ派の作品という見解は昔から確定なのか?
自分はどうにもラストの “God Bless America” の合唱は、アメリカの中のマイノリティー (ロシア系?) が悲劇を乗り越えるため、 やむなくすがったようにしか見えず、 そこには愛国心とかベトコンへの憎しみは感じられなかった。
自分はどうにもラストの “God Bless America” の合唱は、アメリカの中のマイノリティー (ロシア系?) が悲劇を乗り越えるため、 やむなくすがったようにしか見えず、 そこには愛国心とかベトコンへの憎しみは感じられなかった。
国歌だの、 校歌だの、 何らかの体制やら共同体やらを称揚する歌になかなか馴染めない自分だが、 あの 「ゴッド・ブレス・アメリカ」 には泣いた。 白系ロシア人の二世か三世の青年たちがアメリカの戦争に駆り出され、 ある者は死に、 ある者は精神を病み、 誰もが多かれ少なかれ傷ついて、 それでもなお、 アメリカへの帰属を確認する諦念の物語だったのだと思う。 出自 (民族性) を保ったまま帰属できる、 あるいは帰属する気にさせる国と言う意味で、アメリカの懐の深さを思わせる場面だった。
ところで忘れてたが、 最初の目的だったロシア民謡の題名。 疲れたから、 調査はまたあとで。
