[文学] 泥棒日記
力量。 そいつが持ってる能力の総量という意味でいえば、 小説家の力量は詩人のそれよりはるかに大きい。 たとえば、チェコからポーランドへ越える
国境の麦畑で
姿を消した連れの若者
深い林に迷ったか
それとも私を捨てたのか
麦畑のポーランド側は
樺 (かば) の森に囲まれ
チェコ側も森、 こちらは樅 (もみ) の
正午、 一片の雲もない空の下の
ここちよい不安
言うに言われぬ甘味な謎
「いったいこの畑は何を
隠しているのだろう
裸麦の間にどんな
国境警備員が
隠れているのだろう」
たくさんの野うさぎも
見えはしないが
その中を駆け回ってるに
違いない
「もし何か起こるとしたら」
とジュネは自問する
「それは、 一角獣の出現だ
こんな時刻と
こんな場所が
生むことのできるものは
一角獣のほかにない」
1ページ足らずの記述から、 こんな詩が容易に切り出せる。 小説の、 とくに地の文を読むたびにいつも思うのだが、 すぐれた小説にはこんなにもたくさんの詩が埋め込まれている、 とても詩人の及ぶところではない、 と。 小説家が人生の師として世の中から敬われ、 詩人がほとんど乞食と同義なのも、 むべなるかな。
