浦島雑誌
2006-03-04
[文学詩論]  六人の中国人の漁師 (2)
「六人の中国人の漁師」は日常の平明な言葉で書かれ、イメージもくっきりしてるから、すんなり読めて、おっ、いい詩だねと思わせるのだが、読み直すとどこかおかしい。いったい、この詩の主題は何なのだ。もちろん、一言で言い表せるような主題がなければいけない、などということはない。簡単に言えることなら、かならずしも詩に仕立てる必要はないのだから。では、主題のかわりに題材ということにしようか。タイトルに「六人の中国人の漁師」とあるからには、これが題材かとも見える。しかし、六人の漁師は最初のブロックで登場したきり姿を消して、二度と言及されることはない。六人の中国人漁師は最初のブロックの主役ではあっても、全体をとおした題材ではない。

詩は3箇所の空行で4つのブロックに分けられる。こまかく見るために、ブロックに番号を振っておく。

[I]
先夜
新月のもと
カッコー時計のねじはしっかり
巻かれ
サンペドロの
どや街で
かれらは六人の中国人の漁師を呼びとめた
長靴のなかに
二千八百万ドル相当の麻薬を
隠し持っていた。

[II]
かれらの話では哀れな
夢のなかで
ねむっている妻の体に
蝶々を描いたのは
ハウスボートの
小人の老人だという。

[III]
絵描きたちは、とかれらはいう、いちばんの安値でただちに売り払う。

[IV]
その間、それを耳にした
香港のふとった男は
芸術はやめることにした、
そして
その間、ミスター正義をして
新しい清潔なシーツを汚させるために
いらいらしていた
男はある数字をダイアルした
そして最後から二番目の
アメリカの
ヒーロー
の暗殺を
お膳立てした

―― 中上哲夫訳(『モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え』

まず気がつくのは、4つのブロックに共通する視点や場がないこと。各ブロックのストーリーは、同じ場所で起きてはいない。共通の登場人物もいない。全体を通じた特定の観察者もいない。たがいに、場所も、登場人物も、観察者も共通しないばらばらの場面を並べたのが、この「六人の中国人の漁師」ではないか。そんなばらばらの話が、どのようにして全体として結びつき、一まとまりの印象をもたらして、珠玉の ―― とわたしは思う ―― 詩作品に仕上がったのか。

この項続く。隠された技巧、おそらく作者も気づいてないような、といった修辞的、技術的な論になる。原文を読まずに修辞をつついたりしていいのか。かまわない。

- 六人の中国人の漁師 (1)
- 六人の中国人の漁師 (2)
- 六人の中国人の漁師 (3)
- 六人の中国人の漁師 (4)
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