[詩論] ブリッジの方法: 実践編 3
このようにして出来上がった詩は、 次の通り。 タイトルは 「一九四五年」 とでもしようか。ブリッジ役の単語を色分けして示す。 意識せずにやったことだが、 ブロック [III] の 「ドキュメンタリー」 はブロック [I] の 「映画」 に呼応している。 これにも色を着けた。
一九四五年
彼はギリシャに行き
そこでエリア・ヴェネシスの
小説をもとにして
一九二一年のギリシャ人の
強制移動についての映画 『のどかさ』
を撮ることに決めた
その年が何の年であったか
わたしは思い出して笑った
いつも忘れてしまう年
忘れられるリボルバー
一九四五年
リボルバーが机の上に置かれている
最後の日々のドキュメンタリー
黒い雲に刺し込む夕陽が
裸体を赤々と照らす
キムはリボルバーを
注意深くタオルにくるみ
川岸の雑草の下に置き
片足を水につけ
吐息をもらす
彼はギリシャに行き
そこでエリア・ヴェネシスの
小説をもとにして
一九二一年のギリシャ人の
強制移動についての映画 『のどかさ』
を撮ることに決めた
その年が何の年であったか
わたしは思い出して笑った
いつも忘れてしまう年
忘れられるリボルバー
一九四五年
リボルバーが机の上に置かれている
最後の日々のドキュメンタリー
黒い雲に刺し込む夕陽が
裸体を赤々と照らす
キムはリボルバーを
注意深くタオルにくるみ
川岸の雑草の下に置き
片足を水につけ
吐息をもらす
いちおうのまとまりと流れのある詩ができたと思う。 推敲の余地はいくらもあり、 たとえば最後のブロックに 「フィルム」 や 「キャメラ」 など映画制作を思わせる語句、 あるいはギリシャを連想させる語句を追加すれば、 さらにまとまりは良くなるだろう。 たとえば3回出てくる 「リボルバー」 の1つを 「拳銃」 に変えるとか、 その他。
ところで、 このようにしてできた詩を読んで、 人はどう思うか。 文学作品を読む者は、 作品の背後にヒューマンな存在をいつも仮定しているのではないか。 そのような読者に対して、 作品が機械的に作られたものであると打ち明けるのは、 彼らをしらけさせることになるのではないか。 しらけさせないためには、 機械的な作品であることを隠す、 または、 同様のものを大量に作ってあきれさせてしまう。
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