2006-04-02
[詩論]  ブリッジの方法: 実践編 3
このようにして出来上がった詩は、 次の通り。 タイトルは 「一九四五年」 とでもしようか。

ブリッジ役の単語を色分けして示す。 意識せずにやったことだが、 ブロック [III] の 「ドキュメンタリー」 はブロック [I] の 「映画」 に呼応している。 これにも色を着けた。

一九四五年
彼はギリシャに行き
そこでエリア・ヴェネシスの
小説をもとにして
一九二一年のギリシャ人の
強制移動についての映画 『のどかさ』
を撮ることに決めた

そのが何のであったか
わたしは思い出して笑った
いつも忘れてしまう
忘れられるリボルバー

一九四五年
リボルバーが机の上に置かれている
最後の日々のドキュメンタリー

黒い雲に刺し込む夕陽が
裸体を赤々と照らす
キムはリボルバー
注意深くタオルにくるみ
川岸の雑草の下に置き
片足を水につけ
吐息をもらす

いちおうのまとまりと流れのある詩ができたと思う。 推敲の余地はいくらもあり、 たとえば最後のブロックに 「フィルム」 や 「キャメラ」 など映画制作を思わせる語句、 あるいはギリシャを連想させる語句を追加すれば、 さらにまとまりは良くなるだろう。 たとえば3回出てくる 「リボルバー」 の1つを 「拳銃」 に変えるとか、 その他。

ところで、 このようにしてできた詩を読んで、 人はどう思うか。 文学作品を読む者は、 作品の背後にヒューマンな存在をいつも仮定しているのではないか。 そのような読者に対して、 作品が機械的に作られたものであると打ち明けるのは、 彼らをしらけさせることになるのではないか。 しらけさせないためには、 機械的な作品であることを隠す、 または、 同様のものを大量に作ってあきれさせてしまう。

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