2007-11-01
[]  議論の理論
昨日の続き。 昨日のエントリーは、 自分がリコーで相手がバカという主観。 これを客観化すれば、 次の通り。
  • A と B の議論においては、 A と B の一方または双方が誤っている。 なぜなら、 A、 B がともに正しければ、 議論は起こらない。
  • A が正しく、 B が誤っていたとする。 そして A が B を説得して、 自説に従わせたとする。 B は A に対してどんな感情を抱くか。
  • 賢者 A は愚者 B を説得しない。 それは無駄なことだから。 その結果、 A の正しさは誰にも知られることはない。 賢者は山に棲む。
  • 政治家の場合。 A は B を説得するふりをしつつ、 じつは余人を説得する。 B のことはどうでもいい。 というか、 B はスケープゴート。 ただし、 真理が政治家の側にあるとは限らない。 A を行動に駆り立てるのは権力欲や名誉欲であって、 真理を広めることではない。 批評家も同じ。
  • スポーツとしての議論、 ゲームとしての議論はある。 娯楽としての議論ですね。
  • 議論は無駄である。 議論に見せかけた煽動は有効。
いつものことだが、 こういう正しいことを書いたあとの空疎感。 なんだろうね、 これは。 笑いと具体性の欠如、 だろうか。

あ。 と、 ここまで書いて気が付いた。 ぼんくらだなあ、 自分。 昨日触れたブログが 「山に生きる」 と称してるのは、 賢者の自覚だろう。 その賢者が山を降りて俗界で戦っているのが現在の図か。
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おれジャック、 改名して今は浦島。


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