私が子どものころ、 祖父が風呂に入りながら壺坂霊験記のさわりをうなっていたことを思い出した。 そういえば風呂屋でも一節うなっている爺がよくいた。 いつからか、 爺はみんな戦後生まれになって、 そういう風景を見なくなった。
ああいうのは基本っていうのは違うのかもしれないけど、 あの情感がわからないと、 戦前に繋がる日本というものの感覚はわからないではないだろうか。
たぶん、 団塊の世代の人たちは、 記憶を丁寧に思い出せばあの世界を再獲得できるというか、できないわけはないのに。
- 基本っていうか - finalventの日記
買いかぶりじゃないか。 「演歌は日本人の心だ」 といった類の合意で落ち着いちゃいそう。 「丁寧に思い出せば」 という条件付きで賛成。
時間とお金を手に入れた団塊の世代がモズライトのギターを手に入れたい気持ちもわからなくはないが、 もし青春をとりもどすのであれば、 当時モズライトやフェンダーが高くて買えなかった若者たちのために、 グヤやテスコ、 が苦心してつくってくれたモズライトもどきのビザールギターや、 ゼンオンが初心用に開発したペンギンギターの方こそ彼らが買いもどすべきものではないのか、 ヴェンチャーズやビートルズのような音を出したいと夢見ながら、 彼らがかきならしていたのはそうしたコピーギターの方ではなかったのか。 そのギターは今でもまだリストアすればちゃんと使えるし、 「お金がなくても音楽はやれる、 それがロックだ」 という物語こそ、 彼らが責任をもって後世に語り継ぐべき物語ではないのか、 と、 クソ生意気なようだが、 そう思う。 団塊の世代をターゲットにしたロック・ビジネスのいいカモにならないでほしい、 と、 そう思う。
- イルコモンズのふた。 : ▼スティル・マイ・ギター・ジェントリー・コーリング(前篇)
- イルコモンズのふた。 : ▼スティル・マイ・ギター・ジェントリー・コーリング(後篇)
このメッセージも届かないのでは。 「おれたちは戦った」 とか 「社会を変えようとした」 とかの自慢話で終わりじゃないか。 バブル経済の時代に社会の中堅を占めていたことや、 銀行づとめでおいしく暮らしてたことなんか、 とっくに忘れちゃってるようだし、 そのへんを飛び越した 「物語」 って、 ろくなもんじゃないだろう。
