[文章作法] 文章を書くということ
遅いよ俺、という話なんだが、昨日の写真を見ながら文を書いてみた。男が踊っている。
写真である。 (*1)
両足を大きく広げて、フロアに踏ん張ったところである。
身体を左によじって、胸の前を通った右手が、長く左に伸びている。
必死というほどではないが、ムキになってる感じはある。 ムキになって踊っている。(*2)
カメラのフラッシュで目が鈍く白く (*3) 光っている。
男の前で、ネコが2匹踊っている。
ネコの4つの目も、フラッシュで白く光っている。
ネコの姿が決まりすぎているのは、コラージュだからだろうか。
画像を拡大してみると、背景に落ちたネコの影が不自然で、残念ながら合成だとわかる。
残念だ、本物だったらよかったのに。
両足を大きく広げて、フロアに踏ん張ったところである。
身体を左によじって、胸の前を通った右手が、長く左に伸びている。
カメラのフラッシュで目が
男の前で、ネコが2匹踊っている。
ネコの4つの目も、フラッシュで白く光っている。
ネコの姿が決まりすぎているのは、コラージュだからだろうか。
画像を拡大してみると、背景に落ちたネコの影が不自然で、残念ながら合成だとわかる。
残念だ、本物だったらよかったのに。
上の文章を見て、この写真をそのままイメージできる人はいない。

つまり上の文は、写真の説明にはなっていない。
文章を書くとはどういうことか。
書かれている最中の文章には、何が起きているか。
文章の先端に文字や単語が追加されて、先端が先へ先へと延びてゆく。
つまり運動が起きている。
その運動のドライバーは書き手である。
素材の写真はトリガーにすぎない。
書き手は素材に触発されて文を書きはじめる。
書いている途中も素材を参照する。
しかし、書くという運動を司っているのは書き手である。素材ではない。運動を司っているだけでなく、素材について書いているように見せて、じつは文章の先端に書き加えられてゆくのは、つねに書き手自身(の関心事、気分、思考)である。
そういうことなら、文章は素材に正確に沿っている必要はない。というか、正確に沿うなんてことはできない。だったら、文章は書き手が勝手に書けばいい。
ということで手を入れたのが、上の文章の抹消線で書き直した部分。
*1 の文は不要。正確さを期すならあってもいいが、あとで「カメラのフラッシュ」とあるのだから、書き手があるアクションを静止画的に切り取って眺めていることは読み手に伝わるだろう。少なくとも、書き手が静止状態の映像について述べているのだとは理解できるだろう。
書き直す前の *2 は、書き手が素材に遠慮している。踊っている男の表情を過不足なく伝えようとしたら、いくら言葉があっても足りない。だったら、乱暴に割り切るのがいい。
*3 は、男の目がネコの目ほど白く光ってないので、はじめ「鈍く」としたのだが、ネコの目も男の目も一様に白くてもかまわないではないか。このへんは絵画でいえば細かいタッチみたいなもので、「白く」がベターということではない。
素材より自分を信用する。これだな。
遅いよ俺というのは、いまごろ気付いたのかということ。
ではあるのだが、何事であれ人がメタレベルの視点に移行できるのは、移行できるかどうかは、運である。コノヤロウ。